- 姫路市地域おこし協力隊(家島)OG
- 伊藤真美さん
- 兵庫県姫路市
Interview
go to Future
#01 Itou Mami
関東から移住して、家島で地域おこし協力隊として活躍し、任期終了後も家島に定住されている伊藤さんにお話をお伺いしました。
(2021年6月23日(水))
「いつかやりたい」はすぐにやるべき
神奈川県の川崎市出身で、就職してからも東京や横浜、千葉などで勤務しました。基本的に関東から出ることはありませんでした。
千葉県浦安の結婚式場でカメラマンとして働いていた時期に、東日本大震災が起こりました。その時に埋立地の液状化や、石油コンビナートの火災などがあって、災害現場に閉じ込められるような経験をしました。その時に、人は死ぬんだということを改めて考え、「いつかやりたい」と思っていることは、すぐにやるべきだという思いに至って、「島暮らし」を本気で考え始めました。
島の方々の温かみを感じて移住
そこから、「島」「地域おこし協力隊」というキーワードで、受け入れてくれる島を探すようになり、たくさんめぐり歩いた末に家島にいきつきました。なぜ家島だったかというと、家島のガット船(家島の採石業で使用する砂利運搬船)の立ち並ぶ風景が地元川崎に似ていたことと、案内してくれた島の方々の温かみを感じたからです。また、子どもたちが元気に走り回っている姿を見て、まだまだ活性化の余地があるということ感じました。
もともとは、カメラマン、WEBデザイン、ライターの仕事も掛け持ってやっていましたが、就任後は家島の電機屋さんや旅館でのアルバイトをスポットでしながら協力隊の業務を行ってきました。
卒業後の現在は、自宅でできるWEBデザイン、WEBディレクターなどテレワークのお仕事や、任期中に取得した狩猟免許を活かして猟師の活動もしています。
暮らしにアートが溶け込んで潤いを与える
家島の地域おこし協力隊に課せられた使命は、「地域活性化」。自由度が高くて、そのためであれば、何をやってもいいということでした。
そうするうちに、カメラマンやWEBデザイナーの経験もあったので、アートで家島を盛り上げられないかという思いに至り、石彫家さんに家島の石でアート作品をつくってもらって、あさご芸術の森美術館に飾ってもらうなどの企画もやりました。
令和3年度には、姫路市がアーティストの日比野克彦さんと組んでアートプロジェクトを進めることになりました。そのイベントの開催などで、家島も入れてもらっていて、これをきっかけに、家島アートの新たな展開ができないか考えています。
まず観光面では、持続可能性が課題。ほとんどの観光地は、一度行ったらもう十分となって再来してもらえないなかで、アニメの聖地になれば、コスチュームプレーヤーが季節を変え、衣装を変えて、何回も来てくれるということを他の地域の協力隊から聞きました。
ただ、瀬戸内芸術祭などのアートイベントで感じたことは、アート原風景を失ってはいけないのではないかということ。他島のようにアート作品だらけになるのも、それはそれで良いのですが、素朴な原風景を残しながら、観光だけでなく、地元住民や移住者の暮らしにアートが溶け込んで潤いを与えているという感じが良いと思っています。
まちにも近く、二拠点居住もおすすめ
家島で不便さはあまり感じません。島にしては、姫路ともすぐ行き来できるし、家賃相場も安いほうだと思います。しいて言えば、道が狭くて、自動車よりバイクでの移動が主となる点ぐらいでしょうか。
家島も、おそらく田舎独特のつながりの濃さがあって、それは良い面もあり、私自身はないですが、人によっては息苦しいと感じることもあるかもしれません。でも、人のつながりが息苦しい人は都会で暮していたら良くて、田舎暮らしはしない方がいいのではないでしょうか。
ただ、姫路のまちが近いところも家島のいいところ。二拠点居住するというのもおすすめで、実際にそうしている人も多いです。例えば、平日は子どもの学校などもあるので、家島で住んで、週末に姫路の別宅に出ていくというような人もいると聞きます。
島の特色を活かした教育を展開
船が便利になって姫路と近くなったという意味では、家島高校が大変貌を遂げています。家島高校の生徒の多くは、島外から通う子どもたちです。
令和2年には、はじめて島外から家島高校に来て、卒業した生徒が、家島で就職・移住したというケースも出てきています。TV番組「ナニコレ珍百景」に取り上げられたのを見て、家島高校に通いたくて、姫路に移り住んできた方もいます。
家島の住民も人口流出には強い危機感を持っていて、平成30年からは、真浦・宮区会を中心とした「住みよい家島を守る会」が、様々な取り組みをされています。
都道府県の枠を超えて田舎の高校に入学する「地域みらい留学」は大変いい制度だと思います。兵庫県では、但馬の村岡高校が唯一やっていて、視察にもいきました。
自身も家島に来るまでは関東から出て生活をしたことがなかったのですが、子どもの頃から都会にはない自然、文化、地域の中のつながりなどを体験できるというのは、これからの教育にとって重要な取組ではないでしょうか。
家島高校は既に、魚を釣って育てる部活動の魚部(ぎょぶ)やダイビングなどの海洋スポーツなど特色を活かした教育が展開されていて、素晴らしい学校なのでもっともっとたくさんの生徒さんに通って欲しいと思っています。
移住者も増えてきている
香川県の男木島は、もともと平均年齢70歳を超える小さな島でしたが、瀬戸内芸術祭での注目をきっかけに、IT経営者やWEBデザイナーなどのテレワーカーが移住し、今では人口の2割の40人になっています。数年前には、署名運動の末、一旦廃校になった小中学校も再開し、地区100年の古民家を改装した図書館の開設も実現させています。
家島でも、令和元年に「家島空き家対策協議会」を立ち上げて、移住者のマッチングを行っているのですが、令和3年9月現在8組の移住者に来ていただいて、その中には初めて子どものいるファミリーが移住してきてくれました。
移住者のなかには、姫路に通勤するサラリーマンの方もおられますし、最近、島の介護施設の職員になった方もいます。
家島のPR
全国にたくさんの地域があるなかで、移住面、観光面でも、まずは家島を知ってもらうことが大切ですが、PRは大変難しいと思っています。
面白い取組として、離島経済新聞の企画で、「島の魚食図鑑」というオンラインイベントを行いました。5つの離島が参加し、各島の食べ物をあらかじめ一般参加者に郵送して、それを食べながら、各島民も一緒にZoomでみんなでしゃべるというものです。
他の地域と差別化して呼び込むことが大切ですが、そうした地道な取組も大切だと感じています。
伊藤さんの考える “2050”
一番の夢
一番の夢は、家島にテレワークをもっと浸透させること。
今後、テレワーカーの人にもたくさん入ってきてもらって、ゆったりした暮らしを楽しめる「テレワークの島」として最先端をめざしたいと思っています。